放送事情調査のための資料 (2011年) 調査・解説 川崎隆章 印刷、電子化状態での有償配布を禁ず |
旧日本領であった南樺太、千島列島、北海道の一部の属島は、半世紀以上にわたってソ連ならびにロシア連邦の実効支配が続いている。この地域ではロシア籍の放送局が放送しているが、その立地は「日本領内」と「近隣の未確定地」であり、これは、当会にとって「謎の国内未踏区域」「謎の近隣未踏地域」である事を意味する。 北方領土は、当然「日本」の一部であるが、その成り立ちの特異性から帰属未定地である千島列島と切り離さずに研究することが重要であると考え、以下、これらの地域について、放送関係の情報だけでなく、放送の動向掴握の参考となる地勢情報や社会事情について、簡単にまとめてみた。 1)北方領土について 1-1 範囲 1-2 領有・支配の経緯と実態と放送事情 1-3 日本政府による渡航制限 1-4 日本政府の主張 1-5 ロシア連邦政府の主張 1-6 その他の見解・主張 2)帰属未定地(南樺太、千島列島)について 2-1 範囲 2-2 領有・支配の経緯と実態と放送事情 2-3 サハリン州内の行政区画 3) 帰属未定地と北方領土の地域情報、放送事情 3-1 旧南樺太(サハリン島南半部) 3-2 北クリリスク都市管区(パラムシル島ほか) 3-3 クリリスク都市管区(含・択捉島) 3-4 南クリリスク管区(含・国後島、色丹島、歯舞諸島) 4)ペディションの可能姓 4-1 帰属未定地への渡航 4-2 北方領土への渡航 4-3 ロシア経由による渡航のリスク 5)近況情報 ○国後島古釜布でのラジオテレビ放送局とアンテナ塔に関する記事 ○ユジノサハリンスク発のコミュニティFM番組 ○択捉、色丹、国後の放送デジタル化、マルチメディア化に関する記事 ○第2マルチチャンネルセットの放送は今年末に開始 ○千島列島の冬の郵便事情に関する記事 ○サハリン州政府への広報活動について 6)最後に 1)北方領土について 1-1 範囲 日本のいわゆる「北方領土」とは、すなわち、北海道根室振興局所属の歯舞群島(旧称「珸瑤瑁諸島」。貝殻島、水晶島、秋勇留島、勇留島、志発島、多楽島)、色丹島、国後島、択捉島及び内閣総理大臣が定めるその他の北方の地域の総称であり、法的には「北方地域の範囲を定める政令(昭和34年政令第33号)」に定められた地域を指す。地方自治体の区分としては色丹郡色丹村、国後郡泊村、国後郡留夜別村、択捉郡留別村、紗那郡紗那村、蘂取郡蘂取村、花咲郡歯舞村(現在は合併して根室市の一部となった)である。 なお、国際郵便約款第4条では「この約款において、北方領土(歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島をいう。)は、当分の間、外国とみなします。」とあるが、料金表を見ても外国のどこにあてはまるかは、明記されていない。 また「送達条件165 北方領土」ではロシアに準じた条件が書かれており、小包取り戻しの際の官署はモスクワのビューロになっている。 1-2 領有・支配の経緯と実態と放送事情 北方領土は第二次大戦における日本の敗戦が確定的になった1945年8月上旬、ソビエト社会主義共和国連邦(当時)からの侵攻を受け、以来半世紀以上実効支配が行われている。また、珸瑤瑁水道の貝殻島は、1957年にソ連国境警備隊によって実力行使で占拠されたものであり、それ以外の島々とは別の経緯を持つ。 ソ連解体後はロシア共和国によって実効支配が「継承」されており、日本の国勢調査はもとより、気象観測を含むあらゆる公式な調査活動が行われていない。国勢調査の対象地域から除外されている件については「国勢調査施行規則第1条第1号」にも定められている。 ロシア政府は北方領土をサハリン州の一部としており、北方領土に住む人々は、おもにユジノサハリンスク(州都)発または経由の情報を主に利用している。ラジオについては、国後島と択捉島に中継局があると言われている(詳細は後述する)。 この地域が自然災害にあった際、北海道のテレビ局がロシア語によるテロップを放送したことがあったが、この地域のテレビ受信機はロシア国内同様SECAM方式なので、この放送を利用できる人はごく限られていたと考えられる。一方、北海道のラジオ放送はこの地域でもよく受信できると考えられている。 1-3 日本政府による渡航制限 北方領土への日本人の渡航については総務部北方領土対策本部から「日本国民がロシアの査証を取得して北方四島に入域すること」を自粛するよう求めている(平成元年9月19日閣議了解)。しかし、一方で、日露両国間においては、日露双方の領土問題に関する法的立場を害さないという前提のもとで、北方四島交流事業、北方墓参事業、自由訪問事業、緊急人道支援の4つに限って日本国民による北方領土訪問と、四島在住ロシア人による日本の地域訪問が行われている(いわゆる「ビザなし渡航」)。 1-4 日本政府の主張 北方領土については、日本はこの島々が第二次大戦以前から一貫して領有してきた固有の領土であり、日露和親条約において戦前から国境が確定していたことを以て「(内地同様の)日本固有の領土」であるとし、サンフランシスコ講和条約によって放棄の対象とされた「千島列島」にも含まれないと主張している(2-2「現状に至る経緯」参照)。 1-5 ロシア連邦政府の主張 ソ連は実際のところ終戦直前の大戦参加によりなし崩し的に当該地を占領し、以降「南千島」あるいは「千島列島」という名称の示す地域について独自に解釈を盾に領有の正当制を主張している(ロシア側の主張およびロシアの実効支配が続いている背景には複雑かつ第三国的経緯があるため解説書等を参照のこと)。 2011年2月東京新聞朝刊に掲載された「本音のコラム」のなかで、作家・佐藤優氏が北方領土問題についてロシアが「北方領土支配を正当化するのに国連憲章一〇七条の対敵国条項を持ち出して」おり、これによる対日包囲網を形成しようとしていると指摘した。すなわち、対日戦争直前に国際連合(連合国)に参加したソ連が、国連憲章に従って択捉島、国後島、色丹島、歯舞列島を獲得した、という主張をロシアはさらに強化するであろうという見方である。同条項は「この憲章のいかなる規定も第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の的であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない」というものである。 1-6 その他の見解・主張 日本共産党は日ロいずれの政府とも異なる見解を有している。それは「全千島列島が樺太・千島交換条約で平和裏に日本の領土になった」ことを根拠とするもので、全千島列島の返還を主張している。 国際的には、この地域に関する無関心も手伝ってか、多くの国が態度不明瞭である。ロシア連邦は近年、アジア近隣諸国やアメリカなどにこの地域の領土問題について積極的に宣伝し、サハリン州全体を含む事業協力の提案などをおこなっている。 アメリカ合衆国は、ロシアの大戦直前の連合軍参加を「要請」した事などもあり、北方領土問題については、あまり明確な意見を発しない。1957年のソ連警備艇による水晶島奪取に際しても、米軍の出動はなかった。 2)帰属未定地(南樺太、千島列島)について 2-1 範囲 現在、国際的には、サハリン州の大部分を形成するサハリン島南半部(旧日本領「南樺太」)と、北方領土を除く千島列島は、ロシア連邦の実効支配下にある「帰属未定地」で、文字通り「どこの国のものとも決まっていない地」とされており、日本で販売されている地図、地球儀などはそのように記されている。 ロシア共和国はハバロフスク地方の下位行政区にサハリン州を置き、地理学的にはサハリン島、小クリル列島、大クリル列島の3つのエリアで構成される。行政的にはサハリン島には州都ユジノ・サハリンスク市を筆頭に、帰属未確定の旧南樺太地域に10の都市管区、ロシア共和国に帰属する北樺太地域に5つの都市管区が含まれる。 この地域は北海道からやや離れるため、北海道のテレビやFM放送波は容易に届かないと考えられる。一方、中波放送は(北海道でこの地域の放送が受信できることを考えると)比較的容易に受信できると思われる。ただ、NHKラジオは中波では語学番組以外のロシア語番組は放送しておらず、NHK Worldロシア語放送があるのみ。オホーツク海沿岸のコミュニティFM局で一部ロシア語番組を放送しているが、ロシア領土に十分到達しているとは考えにくい。 2-2 領有・支配の経緯と実態 この一帯は、日本とロシアとの間で近世以降「先住民そっちのけ」の複雑なやりとりが行われてきた。まず樺太ことサハリンは、江戸時代に間宮林蔵の観測によって「独立した島であることが確認」され(それまで公式にこの島の沿岸を一周した者がいなかった)、松前藩などが中心となって開拓した島である。そして千島列島は、1700年、松前藩による公式調査が初めておこなわれ、この時作成された松前島郷帳(アイヌ戸籍簿)には現千島列島の島々が含まれた。1711年ロシア人囚人兵による侵攻をはじめ日露間で幾度となく競り合いがおこなわれたが、1855年「日露和親条約」では択捉島以南が日本領として画定した。 1875年「樺太・千島交換条約」によって樺太と北千島が交換され、全千島列島が日本領となった。この際、樺太に関しては、1855年締結「日露和親条約」1867年締結「日露間樺太島仮規則」において、樺太について国境線を設けず、自由通行と主権の混住が容認されたが、1875年には「樺太・千島交換条約」により、樺太全土がロシア領と確定した。しかし1905年7月7日日本軍は樺太に侵攻し樺太全島を占領。9月ポーツマス条約の調印により、北緯50度以南が日本に割譲された。これがいわゆる「南樺太」の始まりである。 しかし1945年8月、ソビエト連邦が南樺太に侵攻。日本が正式にポツダム宣言を受諾し降伏すると、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーは、一般命令第一号で樺太をソ連占領地とすることを命じ、翌2月2日ソ連は南樺太・千島列島を南サハリン州として、ソ連邦ロシア共和国ハバロフスク地方に編入した。 1952年、サンフランシスコ講和条約第二条に「南樺太と付属島嶼の放棄」と記載され、これに基づき、日本は南樺太と千島列島の領有を放棄し、この地域に対する日本国の主権は消滅した。しかし、サンフランシスコ講和条約にソ連が調印しておらず、かつ、二国間の条約や協定等も締結されていないため、にほんこく政府は、ソ連およびその継承者であるロシア連邦がこの地を領有する根拠がなく、南樺太および千島列島は「日本政府によって放棄されたが帰属が未確定のままの地」との見解を取っている。なお、日本政府は、条約に示した「千島列島」には、日露和親条約で国境を定めた択捉島以南の南千島は含まないとしており、いわゆる「北方領土」と「千島列島」は、区別して扱っている。 2-3 サハリン州内の行政区画 第二次大戦後、樺太・千島列島ではソ連による支配がはじまり日本領である「北方領土」を含め「サハリン州」を形成。州都を樺太・豊原市に重なる形で開発されたユジノサハリンスク市に置いた。ユジノサハリンスクは日本領時代の豊原にもっとも近い樺太の中心都市である。 占守島・幌筵島・計吐夷島などカムチャツカ半島に近い島々はセヴェロ・クリリスク都市管区(北クリル都市管区)、択捉島・得撫島・新知島などはクリリスク都市管区(クリル都市管区)、国後島・色丹島・歯舞諸島はユジノ・クリル都市管区(南クリル都市管区)に属している。 ロシアのニュースではこの一帯をひっくるめて「クリル列島」と呼び、産業開発などにおいても一様に「クリル」という大きな地域名を使用している。そのため、中央政府や州政府が「クリル地区に産業振興」などの記事をみつけても、それがこの列島のどこに関するものかを確認する必要がある。ロシアの言う「クリル列島」には、セベロ・クリリスクとクリリスクにラジオ中継局やテレビ放送施設があるとされている。 日本領「北方領土」がロシアの行政区分では2つに分断されていることを念頭に置かれたい。 3)帰属未定地と北方領土の地域情報、放送事情【2011】 3-1 旧南樺太 旧南樺太は、現在はロシア共和国政府によって北半部と一体で実質統治されている。 南樺太に属する主な都市とおもな放送波は以下の通り。 豊原 ユジノサハリンスク 279kHz GRK-Radio Rossii 531kHz Avtoradio 720kHz GRK-Radio Mayak, Voice of Russia 1431kHz Radio 1 ? 1575kHz GRK-Radio Yunost 66.86MHz Radio Retro 102.5MHz Yevropa Plyus 103.5MHz GRK-Radio Mayak 104.5MHz Radio Nostalzhi 106.0MHz Radio Rossii 11840kHz GRK 内幌 ゴルノザヴィーツク 69.50MHz GRK 南名好 シェブーニノ 71.63MHz GRK 留多加 アニワ 富内 オホツコエ 70.79MHz GRK-Radio Mayak 落合 ドリンスク 102.0MHz GRK 大泊 コルサコフ 72.29MHz GRK 104.1MHz Yevropa Plyus 知取 マカロフ 本斗 ネベリスク 101.7MHz GRK 敷香 ポロナイスク 69.92MHz GRK 71.84MHz GRK 気屯 スミルヌイフ 68.69MHz GRK 69,65MHz GRK 上敷香 レオニードヴォ 泊居 トマリ 71.96MHz GRK 70.16MHz GRK 恵須取 ウグレゴルスク 70.40MHz GRK 72.08MHz GRK 真岡 ホルムスク 66.68MHz GRK 104.8MHz GRK 67.46MHz Yevropa Plyus 長浜 オジョルスキー 瑞穂 チェプラノオ 野田 チェーホフ (不明) アインスコエ 68.06MHz GRK 珍内(クラスノゴルスク)近辺か? *GRKとだけ記載したものは、系統未詳。 (参考)北樺太に属する主な都市とおもな放送波(ラジオ) アレクサンドロフスク・サハリンスキー 1548kHz GRK-Radio Mayak 792kHz GRK 69.44MHz GRK ツイモフスコエ 68.60MHz GRK-Radio Mayak 69.92MHz GRK ノグリキ 70.88MHz GRK-Radio Mayak 69.56MHz GRK オハ 1377kHz GRK-Radio Mayak 67.16MHz GRK-Radio Mayak 69.20MHz GRK ネフチェゴルスク (1995年の地震で壊滅し放棄) ヴェストーチカ(Vestochka) 279kHz GRK 周波数については、複数ソースに取材したが、編集時期やデータの獲得方法によって大きな相違点があるため、2000年以降のデータに記載されているものは、無条件に記載した。公式のデータがあまりあてにならず、受信ベースのデータは取材時期が確認できないため、今後精査を要する。 なお、日本時代の行政区画と現在名による行政区画は必ずしも一致しない。たとえば都市の巨大化によって日本時代の区画が市内の一部だけを指すものになったり、あるいは、旧市を基盤に近接地に新しい町を建設したケースなどもあるため、戦前地図などと対照させる際は要注意。 3-2 北クリリスク都市管区 北クリリスク都市管区は、カムチャツカ半島の南にあるシュムシュ(占守)島以南の島々で、行政の中心地はパラムシル島(日本名・幌筵島)の(気象通報でおなじみ)セヴェロ・クリリスク(日本名・柏原)である。 セヴェロ・クリリスクは5000人ほどといわれ、北千島で唯一民間人が定住している島である。1952年の大津波で壊滅し、町ごと高台に移転した。カムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキーから占守島を経由する不定期の乗り継ぎルート及び、樺太・コルサコフ港からの船便がある。 シムシュ島(日本名・占守島)は非定住の人口が100人程度あるだけといわれている。唯一の集落はバイコーヴァ(日本名・片岡)である。 ケトイ島(日本名・計吐夷島)は周囲8キロの火山島で、周囲を断崖に囲まれ、島内も急斜面の連続であり、人が住める島ではないといわれる。 1992年版以降のWRTHにはセヴェロ・クリリスクに1602kHz 1Kwの中波局が記されている。これ以前には極東地区に複数の不明局があるという記述があるばかりで、この中波局については記されていない。また、2011年3月1日現在、Mayakの周波数案内にはセヴェロ・クリリスクに90.7MHzのFM局が記されている。asiawaveのデータベースでは1602kHzはInactiveと記されている。 セヴェロ・クリリスクまでは、札幌から北東約1750km(札幌ー屋久島の直線距離は約1700km)、網走から北東に約1550km、釧路から北東約1570kmである(距離は大まかである)。 3-3 クリリスク都市管区 択捉島を含むクリリスク都市管区は、択捉島の海の玄関である紗那(ロシア名・クリリスク)を行政の中心とし、最盛期2000~3000人ほどが定住しているといわれる。人口規模では空港のある天寧(ロシア名・ブレヴェスニク)がさらに大きく、6000人を超えるといわれる。このほか管区内には大規模水産加工場などのある1000人クラスの集落が存在する。一方、択捉島の北側に戦前存在していた集落は、この一帯がロシア共和国の自然保護区に指定されたため産業活動が困難となり、廃村または同様の状態(小規模の漁業支援施設があるのみ)となっている模様。 同じくクリリスク管区に属するウルップ島(得撫島)は、90年代以前は気象通報地点として知られていたが、かつては国境警備隊や観測所がおかれていた。しかし、移転・廃止により、無人島または同様の状態になっているようである。またシムシル島(新知島)は、ソ連時代には潜水艦の秘密基地がおかれ、ロシア政府が2002年に核燃料の最終処分場を設けようと構想したような島であり、人的定住があるとは考えにくい。 Mayakの周波数案内には紗那(クリリスク)に70.64MHzのFM局が記されている。1992年版以降のWRTHには紗那(クリリスク)に1602kHz 1Kwの中波局が記されているが、asiawaveのデータベースでは1602kHzはInactiveと記されている。 1994年のデータでは択捉では1992年から新聞「クラスヌイ・マヤーク」(赤い灯台)が週に2回発行されており2,700部というが、現状は不明。 テレビは1992年開局の「3チャンネル」が国後・歯舞を対象に放送しているというが、詳細は不明。 泊村古釜布周辺までは、札幌からの東東北東350km前後。網走から東120km前後。釧路から東北東150km前後(距離は大まかである)。 新聞社 「クラスヌイ・マヤーク」(赤い灯台)。94年8月現在、週2回発行。 また、同データでは、テレビ「3チャンネル(93年からローカル放送開始)」が択捉を対象に放送している。 紗那までは、札幌から東北東約570km、網走から東北東に約310km、釧路から北東約370km(距離は大まかである)。 3-4 南クリリスク管区 全域が日本固有の領土である南クリリスク管区は、国後郡泊村古釜布に開かれた新しい町であるユジノ・クリリスクを行政の中心とする。2004年には6000人を超える人口があると発表されている。戦前までは北海道に近い泊村泊集落が島の中心であったが、ソ連時代に中心を移された。また、色丹島は2004年時点で3000人を超える人口があった。 歯舞諸島所属の島は、志発島に少数のロシア漁民が季節移住して臨時集落ができるほかは、ほとんどが無人島であり、このほか、多楽島、水晶島、貝殻島にロシア沿岸警備隊数百人が駐在している。 2011年3月1日現在、Mayakの周波数案内には古釜布(ユジノ・クリリスク)に69.68MHzのFM局が記されている。 1994年のデータよれば、国後・歯舞では1992年から新聞「ナ・ルベジェ」(国境にて)が週に2回発行されている。1,200部。 また、同データでは、テレビは1992年開局の「3チャンネル」が国後・歯舞を対象に放送しているというが、詳細は不明。 泊村古釜布周辺までは、札幌からの東東北東350km前後。網走から東120km前後。釧路から東北東150km前後(距離は大まかである)。 4)ペディションの可能性【2011】 4-1 帰属未定地への渡航 たとえば、北方領土や帰属未定地におけるペディション(受信調査)は可能であろうか。 結論からいえば、どちらも不可能ではない。ただし、渡航にあたって注意すべきことがある。 まず、帰属未定地であるサハリン南部と北方領土以外の千島列島に関しては、その他のロシア共和国の領土への旅行と同じ手順で訪れることができる。まず、サハリン島への渡航は既に観光用ルートとしても確立しており、ブログなどでも多数紹介されている。千島列島には、サハリン島から船や飛行機(サハリン航空)への定期便で渡ることができるが、空路は霧による運休も多いようだ。 4-2 北方領土への渡航 北方領土については、2011年現在、北海道本島から直行できる択捉・国後への定期便はまったく存在しない。サハリン島から択捉・国後には定期便が存在するが、日本政府は、国民がこの便を利用せずいわゆる「ビザなし交流」に参加してチャーター船を利用するよう要請している。 両島へのチャーター便はいずれも根室港発着で、択捉島紗那(クリリスク)または国後島古釜布(ユジノクリリスク)に入港し、ロシアの税関による入域審査を受ける。チャーター船の利用資格は、旧島民、その子孫、ならびに返還団体から推薦された者に限定されているが、実際には日本政府による研修を受ければ、返還団体の推薦を得ることが出来るため、渡航の途が断たれているわけではない。 4-3 ロシア経由による渡航のリスク 政府の要請を無視してサハリン島経由で北方領土に渡る場合、ロシア共和国の査証を取得してサハリン島にわたり、ユジノ・サハリンスク経由の海・空路を使用することになる。ただし、これまで日本を含む世界のロシア大使館、領事館では訪問先に北方領土を加えて申請した場合、外交上の配慮から査証は発行されなかった。しかし、いったんロシア国内に入ってからは自由通行が可能なため、適当な訪問先で申請して査証をとり、サハリンから海路や空路で渡る方法をとることができる。 海路の場合、サハリン島の大泊(コルサコフ)港~択捉島~色丹島~国後島~大泊を巡航する貨客船「イゴール・ファルハトディノフ」を利用する(1,2月は休航)。 空路の場合、大沢飛行場(ホムトヴォ空港)発着のサハリン航空を利用して、択捉島の旧日本軍天寧飛行場(ブレヴェスニク空港)または国後島のメンデレーエフ空港を利用する(霧の多い夏季は欠航が多い)。 このルートによる渡航を行った場合、たとえば公的機関に勤務する場合、何らかの注意または処分の対象となることもあり、さらに「政治団体」からの圧力がかかる恐れもあるため、迂闊に用いるべきではない。また、過去、報道機関などが北方領土取材を目的としてこの経路を使用した際も、政府あるいはライバル報道機関からの指摘によって指弾され、公共の批判を受けることとなるため、いかなる大義名分も通用しないと考えなければならない。 しかし、近年「生きているうちに北方領土を見たい」という高齢者や、報道関係者、中国企業に先を越されたくない日本企業関係者による渡航が少なからず行われているようで、このルートを通るツアーも企画・実施されている。一部は社会問題として新聞でとりあげられ、ツアー会社の代表が謝罪したケースもある。また、日本国外のツアー会社が日本人向けに日本・ロシア以外の国から寄港するツアーを組むケースもあるが、日本政府は北方領土に調査員を派遣していないため、実際にどれだけの人が「不適切なルート」で渡航したのかを把握することができないでいる。われわれにとって非常に魅力的な地域ではあるが、大きなリスクを負うことがあるということを認識した上で判断しなければならない。 5)近況情報【2011時点】 中央政府からの予算で開発・維持されてきた極東地域は、解体後の急速な経済難に加え、エネルギー不足などの問題も重なって、生活力のみならずモスクワに対する求心力も低下していった。また、1994年北海道東方沖地震で北方領土が、1995年サハリン沖地震でサハリン北部が大打撃を受けるなどサハリン州は災難が続き、経済難もあわせて社会資本が喪失も大きかった。かつて数少ない映像メディアとして活躍した島内12台のフィルム映写機は、多くがこの地震で壊れ、かつ、残ったものもテレビの普及の影響などから買い替えられることなく94年には1台残さず消えたと伝えられている。 その後、サハリン近海の油田開発への投資が増え、ついに2007年に「2015年までのクリル諸島社会経済発展計画」が発表された。これは9年間に総額179億ルーブル(当時の為替レートで792億円)をクリル諸島に投資して、インフラストラクチャーを整備しようというもので、早速、学校などの施設の建て替えが行われた。これはまさに同年末に控えたロシア下院選挙や翌3月の大統領選挙を前に、プーチンが北方領土の発展を重視する姿勢を見せるためにおこなったといわれている。このとき、初めての外相視察もおこなわれた。 サハリン州の動向については、北海道サハリン事務所がサハリン州の地元テレビ(ASTV)のニュースを書き起こしたものを毎平日web上で公開しており、過去数年分の記事が残されている。放送・通信に関係する記事がいくつか見られるので転載する。 ○国後島古釜布でのラジオテレビ放送局とアンテナ塔に関する記事 サハリン州議会は、「1994年~2005年のクリル諸島社会・経済発展連邦特別プログラムの実現期間の延長に関するアピールをロシア政府フラトコフ首相宛てに送付することを決定した。(略)現在、プログラムに従って連邦と州予算の資金によりメンデレエフと大洋エネルギーコンプレクス、色丹島のクラボザヴォツコエ村での学校、択捉島のクリリスク市での病院と診療所、色丹島でのマロクリリスキー港の建設及びクリリスク港とセベロクリリスク港の修復が行なわれている。また、メンデレエヴォ空港の修復、マロクリリスコエ村でのディーゼル発電所、ユジノクリリスク村でのラジオテレビ放送局とアンテナ塔、クリリスク市での子供創作センター、ユジノクリリスク村での地区文化会館等の施設の建設を完全に終了する必要があり、クラボザヴォツコエ~マロクリリスコエ間の道路を建設しなければならないとのこと。資金不足のため、全ての施設は2005年末の時点で未完の建設状態になってしまい、(略)これに関して、州議会は、フラトコフ首相に「1994年~2005年のクリル諸島社会・経済発展」連邦特別プログラムの有効期間を2006年末まで、融資を含めた実現期間を2010年~2012年まで延長するよう依頼した(2005年5月10日・11日) ○ユジノサハリンスク発のコミュニティFM番組 ユジノサハリンスク在住のマリア・シミョノワさんが日本のラジオ番組「稚内の世界」のリポーターに就任した。マリアさんは天気予報について話した後、10分間で政治を除く全てのテーマについてレポートを行っている。サハリンのルポルタージュは毎週土曜日13時30分に放送されている。彼女によると、このラジオ放送局との協力は5月間のみとのこと。放送前にEメールでテーマについての協議が行われている。一般的に日本人はサハリンのファッションやナイト・クラブ、大学に関心を持っているとのこと。マリアさんは、21歳、サハリン国立総合大学の学生で、まる1年間、稚内市の大学で研修を受けたが、その間、彼女は現地のDJと知り合いになった。昨年の夏、同放送局の稲垣昭則代表取締役がユジノサハリンスクを訪問し、シミョノワさんにリポーターの仕事を勧めたとのこと(2006年3月9日)。 ○択捉、色丹、国後の放送デジタル化、マルチメディア化に関する記事 「クリルプログラム」の実施幹部によると、択捉島ではデジタルテレビ・ラジオ放送の創設の調査作業が終了しているとのこと。近日中に「コスミチェスカヤ・スヴャジ」連邦国家単一企業の専門家は「国家ラジオ・テレビ専門設計研究所」連邦国家単一企業と一緒に択捉島での作業を終える。モスクワ市の専門家グループは、最大限の放送エリアを確保する送信アンテナの柱などの設備のための設置エリアを選び、それを査察した。択捉島での作業後、同様の作業は色丹島と国後島で行われる予定である。「2007~2015年のクリル諸島の社会・経済発展」連邦目的プログラム実施責任者のアバブコフ氏によると集められたデータは作成されている設計書類の基となるとのこと。プロジェクトの最終の目的はデジタルテレビ・ラジオ放送網の創立だけではなく、しかるべき装置を持った加入者へのハイスピードインターネット回線との接続可能性の確保である。2007年には鑑定に合格し、プロジェクトが承認され、北クリリスク(幌筵島)での受信・送信コンプレックスが創立される予定である(2007年7月13日)。 ○第2マルチチャンネルセットの放送は今年末に開始 2011年末まで第2マルチチャンネルを放送するための9つの施設が建設され、稼動する。この施設が出来たときに41ロシア連邦構成主体の住民4300万人がデジタルテレビサービスを利用することができるようになる。このことついて情報技術・通信省シェゴリョフ大臣がロシア連邦院(上院)の会議で発表した。 (略) 大臣は、現在、デジタル放送はハバロフスク地方とカムチャツカ地方においてうまく利用されている。既に沿海地方とアムール州はデジタル試験放送が行われている。また極東の他の地方においてもマルチチャンネルの編成センターの建設も終了する。 (略) シェゴリョフ大臣はデジタル放送網の敷設により、国内のテレビジョン開発者、製造者、設置工事業者が誘引されることから、経済のその部門は発展されると指摘した。 大臣は「デジタルテレビ放送の導入はインタネットアクセスの提供及びいわゆる「情報格差」の問題の解決に新たな可能性を開く。ロシアの最も離れた地方でもマルチメディア放送サービスを利用する可能性がある。」と述べた。 また、大臣は「我々はアナログ放送のゆるやかな停止方法を選んだ。殆どの住民がデジタル放送にアクセスを得てからでないと、アナログ放送は停止されない。今年に産業・商業省と協力し、ロシアへの受信機の輸入手順に関する調書を作成する予定である。この調書によると、ロシアへ輸入されている全ての受信機がデジタル信号を受信する機器を含めなければならない。」と語った。 アナログ放送からデジタル放送へ移行するに当たって、住民は最新式のテレビあるいは一般のテレビに対応するデジタル信号の受信装置を持たなければならない。情報技術・通信省大臣は今でもデジタル信号を受信する装置の最低価格は一番単純な携帯電話の価格と同じくらいであるが将来は値段が下がると指摘した。 多機能のデジタルテレビ放送用受信機の設置により、デジタルチャネルを見るだけでなく、インタネットに接続し、「デジタル政府」のサービスを利用することができる。国は住民に受信機を購入するための補助金を与えない。しかし、大臣は、地方行政府は社会支援として貧困層に受信機を購入するためのお金を配分することができると考えている。(2011年1月27日) ○千島列島の冬の郵便事情に関する記事 ロシア郵便サハリン州支部は千島列島への郵便配達をやむを得ず変更した。 島々の居住地は交通が困難で、遠隔地であり、天候不良のため、島への接近が困難となっている。郵便配達は主に海上輸送される。郵便コンテナは主に「イゴリ・ファルフットジーノフ」ディーゼル船で配達されるが、クリル水域に良く発生する嵐のため船舶が適時にコンテナを陸揚げ出来ないこともあった。 サハリン州連邦郵便庁のタチアナ・グリシェンコ主任技師によると、2011年1月からコルサコフ~クリルスク~マロクリルスコエ~ユジノクリルスコエ~コルサコフの冬季航路が週1回運行され、郵便コンテナを輸送しているが、適時に配達できるか否かは気象次第である。 航空貨物、一等輸送、EMS(速達郵便)、定期刊行物については国後島に航空郵便「サハリンスキエ・アヴィアトラシー」株式会社を通じて配達する。 サハリン州を含めて、ロシア全国の地域から北クリル地域への郵便配達は、ペトロパブロフスクカムチャツキーを経由することによってのみ行われている。 2011年1月の始めは、サハリン州にサイクロンが来て、吹きだまりで数本の道路は閉鎖され、配達はよく遅延した(サハリン州連邦郵便庁プレス・サービス 2011年1月25日) ○サハリン州政府への広報活動について (略) サハリン州政府は広報活動に合計1500万ルーブル以上割り当てる予定である。政府の予定通りにいくと、今年、サハリンの住民はニュース番組「ウェスチ・サハリン・クリール」「ソビチヤ・ネジェーリ(週間の出来事)」「ウリマル・バンソン」、ニュース番組「ナシ・ジェニ」を通して政府上級職員の活動の成果について知ることが出来る。 同オークションに関する情報は、昨年12月18日にサハリン州政府ホームページで公開された。同日に、更なるテレビPRに関する応札情報が公開された。それにより、評論番組「ウェスチ・特殊取材」、「ディスカッション」、評論番組「レプリカ」、「トークショー」の収録・放映に予算が使用される。 また、12月22日に、「サハリンスカヤ・ジズニ」新聞での広報掲載に関わるオークションに関する情報がホームページに投稿された。サハリン州は同新聞社に136万5千ルーブルを支払う予定である。それに対し、「ショ・コリョ・シンムン」新聞社に49万1000ルーブル、地方自治体の新聞社15社にそれぞれ15万7千ルーブルが割り当てられる。(2011年1月11日) 6)最後に 何より「日本国内にロシアの放送局がある」ということは追求する価値がある。 たとえば、大戦終結に伴う日本放送協会豊原放送局(JDAK)の閉局以降、どのように置局がすすめられてきたかについては、まず送信者側(当時、ソ連)から情報を得ることが困難であり、ID確認などができない択捉の中継局などについては、受信データに基づいた情報だけではわからないため、多様な資料を組み合わせて推理してゆくほかないと思われる(内部情報を入手することができれば一番良い) 。 今後、この地域にさまざまな資本と人材が投下されれば、たとえば商業局を含むローカル放送の拡大が考えられ、また、現在懸念されているロシアと中国・韓国等との共同開発が行われれば、現地派遣員を対象としたローカル中国語番組や、サハリン州内の(在留朝鮮人ではない)韓国人向け番組の実施、CRIの中継、KBS韓民族放送の編成に与える影響などがないとは言えない。今後、この地域に焦点をあてて、この地域の放送史ならびに現在の置局状況、ローカル放送の実勢などに関する情報を固め、新たな事態に即応できる体制を整える事は、誠に意義深いものであると考える。 |